麻生首相と酒井法子の共通点 3

2009 , 10月 28 日 水曜日

<<承前>>

麻生首相も負けてはいない。
2月5日の衆議院予算委員会で、郵政分割民営化の見直しを聞かれ、「小泉首相の下で賛成ではなかったんで、私の場合は。たった一つだけ言わせてください。みんな勘違いしているが(総務相だったが)郵政民営化担当相ではなかったんです」と言っちまった。
周りが攻撃の準備を始めると、一転して「民営化に賛成したから解散詔書にサインした」「賛成ではなかった。その後2年間で勉強し、民営化の方が経営効率を上げられる可能性があると判断し、最終的に民営化に賛成した」といいはじめた。

「ヲイヲイ、バカもいー加減にしてくれよ」といっても声が届くはずもないから、皮肉っぽいザラ声を黙って聞いてるしかないのだ。

さらに2月22日、青森市で「我々は教育基本法を変え、いい加減な教科書を変えた。相手の方はご存じ日教組。私どもは断固戦っていく。それが自民党だ」と述べ、自ら検定制度に介入したことをバクロした。
2日後に、教科書を変えさせたことを聞かれ、「いや、変えた、いや、変えさせたと言ったのか知れませんけど、あれは教科書検定、えー、検定、委員会? だったっけな。教科書検定委員会が変える。ここが責任です」としらばっくれる。
さらに「日教組と闘うのが自民党だ」と言ったことを聞かれ、「あの日教組から支援されている政党もある。私どもはそこと選挙で戦っていくということです」とやった。
ホント、この人、口をゆがめてる時はウソついてる時じゃないかと思えるほどだ。

首相がこうなら周りもだまっちゃいない。
話が前後するが、笹川堯総務会長が、松江市で小渕優子少子化担当相の就任理由について「なぜなれたか。子供を産んだからですよ。もし結婚して子供がいなければ『おまえ方法は分かっているのか』と言われますよ」「私は孫が14人。本当なら私が担当相になったかもしれない」「(人口は)努力しないと増えませんよ。近ごろの若い人はどうも努力が足りない」と島根県の人口減少についてしゃべったが、共同通信の取材に対し「子供がいなければ駄目という意味で言ったのではない。小渕氏のように子供がいればより説得力があるという意味だった」とシラバッくれた。

この人も理性というものがどっかに飛ぶことがあるみたいで、さらに倉敷市で「国会議員もどんどん女性が出てくるといい。いいんだけどね、やっぱりちょっと、あまり上品ではない、と思います」とやった。

こういう連中の頭ん中の構成をいちど脳内メーカーで見てみたいもんだ。

でも、こんなんで驚いていたら自民党ワッチャーは勤まらないのだ。
「神輿は軽くてバカがいい」って昔だれかのことをいっていたが、こういう自民党を束ねるカシラの麻生首相は、ただ者ではない。

全国知事会会合で千葉県の堂本知事から「地方が抱える医師不足の問題についてどう考えるか」と聞かれて、「医者の確保をとの話だが、自分で病院を経営しているから言う訳じゃないけど、大変ですよ。はっきり言って、最も社会的常識がかなり欠落している人が多い。ものすごく価値判断が違うから。それはそれで、そういう方をどうするかという話を真剣にやらないと。全然違う、すごく違う。
そういうことをよく分かった上で、これは大問題だ。小児科、婦人科(の医師不足)が猛烈に問題になっているが、これは急患が多いから。急患が多いところは皆、人が引く。点数が入らない。点数を変えたらいいんです。これだけ激しくなってくると、医師会もいろいろ、厚生省も、5年前に必ずこういうことになりますよと申し上げて、そのまま答えがこないままになっている。
これはちょっと正直、これだけ激しくなってくれば、責任はオタクらの話ではないですか。オタクってお医者さんの。しかも、お医者の数を減らせ減らせと言ったのはどなたでしたか、と申し上げて。党としても激しく申し上げた記憶がある。臨床研修医制度の見直しについてはあらためて考え直さなきゃいけない」と言った。(引用:共同通信2008/11/19 )

日本医師会の中川俊男常任理事は「アンビリーバボー、クレージー(超意訳)」とその日の定例の記者会見でカンカンになった。全国医師連盟も全国保険医団体連合会もカンカンだ。

そしたらその夜、麻生総理大臣は記者団に「おれの友達にも医者がいっぱいいるが、なんとなく話をしても、ふだん、おれとは波長が合わない人が多いと思った。まともな医者が不快な思いをしたというのであれば、それは申し訳ない」とわけの分からない言い訳みたいなことをいったが、誰にもウケない。

「もしもし、参院予算委員会と衆院本会議で『ふしゅう(踏襲)』っていったり、行事の挨拶で『はんざつ(頻繁)』『みぞゆう(未曾有)』「しゅうび(焦眉)の急」、年明けの衆院本会議で『ていまい(低迷』って言って、年頭記者会見の書き初めの色紙に年号を「平成廿十一年」(にじゅうじゅういち?)て書いたのは誰だっけ」
「日本記者クラブでも、『日本のありようを大きく変えたのは、御年配の方ならよく御存じのところだと存じます。三種の神器(しんぎ)、覚えていますか、三種の神器(さんしゅのしんぎ)、神様の器と書く、洗濯機、テレビ、冷蔵庫、これが今、神器(しんぎ)と思っている子どもはいませんよ。しかし、これは神器(しんぎ)だったんです。カゲヤマさん、我々と同じ世代だからよく御存じでしょうけれども。…』って、したり顔でわざわざ解説までつけて『しんぎ』を連発したのも知ってるんだぞ」なのだ。
そりゃ「神器」単体なら「しんぎ」とも稀にはいうらしいが、三種の神器となれば「しんぎ」はストライクスリー・アウトでレッドカードなのだ。

こういうときこそ、中山成彬前国土交通相には、「教育に問題があった。日教組が日本の教育を悪くしたいい例が示された」とか「ますます『日教組をぶっこわす』運動の必要を感じる」などと、拡声器を使ってでも言ってほしかった。

「麻生首相と酒井法子の共通点」ではじめたのだが、麻生首相はただの神輿だったことがわかってしまったので、実際は「自民党と酒井法子の共通点」だったのだ。

自民党は橋本内閣のあと、凋落の一途を辿っていたのだが、森内閣に呆れ果てたところに小泉さんが「自民党をぶっ壊す」といったものだから、そのころの民主党の情けなさにもうんざりしていたみんなは「ひょっとしたら変えてくれるかも」と思ったのがドエライ間違いだったのだ。

「自民党をぶっ壊す」にはいろいろな受け取り方がある。
「こりゃ森をぎゅうといわせるんだな」と思う人もいれば、「わけの分からんじいさん連中を追い出すんだな」と思う人もいる。「官僚に頼った政策を、ホントに自分たちのためになるように変えてくれるんだな」と思う人もいる。「ようやく公平な世の中になりそうだな」って思う人もいるのだ

だからいくら小泉さんが頑張っても、反対勢力がうごめいて思うように進まなくなったのを見て、「こりゃだめだ。小泉さんでもだめか。日本はもうだめだ」と天を仰いでため息を何回もついて、この世が妖怪の世界に取り込まれて行くように思ったのだ。

この官僚という妖怪はすごいのだ。
自分ではエライと思っている国会議員が政府という寄り合い所帯を作っても、士農工商の商人みたいに揉み手をして「えろう大変でんなぁ」「あんたはんに世の中がかっておりやすなぁ」なんておだてて、「まかしとくれやす、あんじょうまとめまっせ」なんて言うもんだから、国会議員は「よきにはからえ」「台所が不如意ゆえ、賄いを工夫してくれ」「ちょっと国にも土産を渡して欲しいなぁ」なんてやってもうて、それを見てる陣笠連中も、「おれっちにもよこせ」なんてなるものだから、官僚は困ったような顔をしてみせながら、集めた年貢に手を入れて、掴んでは投げ掴んでは袖の下から渡したりして代議士を操っていたのだ。
なんせ自分の金じゃなくて「集めたものは使っちまえぇ」の金だから、始末するなんて全然なしだ。
おまけに浪費癖がついちゃってるから、借金してまで使っちゃうのだ。

こんなこと言っているうちに、酒井法子の公判は始まるし、臨時国会も開催されて、この記事もバカみたいになってきた。
まるで馬鹿っぽい。

つづくかどうかは思案中

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