将軍様は『総理の座』が欲しいぞ
2011 , 3月 01 日 火曜日小沢将軍と喜び組の思い違い
衆院議院選挙で国民が期待し民主党が大勝した理由は、
「自公政権にかわる政権<民主党の政権」
の不等式の結果なのである。
だが民主党内のマニフェスト原理主義を装う連中の頭の中は
「自公政権にかわる政権<民主党のマニフェスト」
であり、透けて見えているのは
「民主党政権<<小沢将軍の天下取り」
である。
つまりマニフェスト原理主義は小沢将軍様と喜び組の日本制覇の隠れ蓑で、真の目的は小沢将軍様が摂政関白太政大臣になることなのだ。
将軍様のわがままは昔から
将軍様は初めは自民党にいたのだ。
自民党の竹下派を分裂させることからはじめて、野党の宮沢内閣不信任案に当時の喜び組を引き連れて賛成と欠席にまわり、不信任案を可決させて解散に持ち込み新生党作った。
8つの党派をまとめあげて自民党を野党に蹴落とし細川連立内閣を立ち上げた。将軍は「連立与党代表者会議」を作って細川内閣の主導権を握ろうとしたのだが、細川内閣の混乱を引き起こすことになり、その結果、細川首相が辞任して連立政権は霧散した。これがダメならこちらがあるさと、次いで羽田連立内閣を作るのだが少数与党となって支えきれず、羽田内閣は64日で倒れた。
政権復帰を目指した自民党が、社会党と新党さきがけと連立して村山内閣をつくり、新生党が野党になると、今度は新進党を作り、アヤシイ党首選挙で羽田を破り党首になる。しかし1996年の衆院選の戦いかたや開票中に党本部に出てこないことなどにアキレて離党者が続出。1997年末の党首選挙で再選されると新進党内のグループ・公友会、旧民社党グループ・民友会にそれぞれ解散を要求。党内のグループを解散させ公明党系を分派させておいて自らは新党を作った。
将軍様は、小渕内閣の首班指名のときには参議院で野党統一候補を指名させるべく画策し、民主党代表菅直人の指名を成功させた。将軍様に、「俺を敵に回すとどうなるかわかったろう」と脅されて焦った自民党は、自由党と組んで自民自由連立政権を作るが、狼藉をしない公明が加わると政権は安定し、火種を作る自由党は与党から追い出された。
『総理の座』が手に入るならなんでもやる
だが小沢将軍は、今度は衰退傾向が見え始めた自民党での首領とりを狙う。自民・自由党を解散し新しい保守政党を作ることを画策するが、自民党内で気づく者がいて頓挫となった。さらに将軍様の自民党へのあまりの執着ぶりに、こんどは自由党内で反発がでて自由党は保守党と自由党に分裂した。
これで与党に入れなくなった小沢将軍は野党第1党の民主党に接近する。
あちこちで問題を起こしてきた将軍様に特にひどい目に遭わされた旧新進党、旧社会党出身者は民主党に多くいたため、当然小沢将軍の接近に警戒し嫌悪する。
将軍様は「党の名前はそちらの党の『民主党』でようおます」「綱領もそちらのものでよござんす」「役員も今の皆様がたでオッケーです」と揉み手をしながら接待をする。「岩手の名菓でございます」といって渡した菓子折りの底に小判が入っていたかどうかはさだかではない。
とにかくこれで、小沢将軍様が党首の自由党は、民主党と合併したのである。
ごく大雑把にいうと、『総理大臣の座』を最終目標にし、その画策のために政党を作り、おだてたりなだめたりして与党にすり寄り野党にすり寄りして、次第に『総理の座』ににじり寄ってきたのである。
小沢将軍様は焦っている。齢もすでに68歳である。ここらで『総理の座』に座らねば座るチャンスは逸することになるだろう。「力のあるうちに一気に天下をとるぞ!」と意を決したと見える昨今である。
だが、40年間奇行を繰り返し追い出されそうなカダフィとまではいかないが、将軍様には田中角栄、金丸信からはじまって金にまつわる話も枚挙に暇はなく、開票時にトンズラしたのと同様に、気に入らない記事を書く報道機関を記者会見から締め出すなどのマスメディア対応など、我が儘っぷりも尋常ではない。
あたかも会社を作っては潰し作っては売りの、起業ゲームを生き甲斐とする中小企業の社長と同じメンタリティである。「俺が作ったんだから会社は俺のものだ」という意識だから、従業員=国民がどうなろうと知ったこっちゃない。社会的な迷惑も関係ない。俺の目標のために世界はあるのだという自己チューで、「俺のやることでみんなが幸福になっている」「国民はみんな私を支援している」というあたりもカダフィと一緒である。
さて国民はどうするのか
今までの行動を見ていれば、「たとえ民主党がダメになるとしても小沢将軍だけには天下を取らせないぞ」という物覚えのいい洞察力のある国民の数がポイントになる。
市長でも知事でも区長でも、統治者の権力というものは絶大である。あれこれくっちゃべっることを仕事と思っている国会議員なんかとは全然権力の大きさが違う。
阿久根市の竹原市長がやったことを覚えているだろう。市長がやろうと思えばあのくらいのことはできるのである。まして知事や総理大臣の権力は比べ物にならない。
「一人だけで勝手にやろうとしても周りが…」などというのは、平和ぼけの甘ちゃんの考えであることは阿久根市の件でわかる。
ムバラクもカダフィも金日成も毛沢東もスターリンもヒトラーもすべて同じだった。
独裁者はこういう形で生まれるのだろう。
国民は心して対応すべきである。