特別寄稿:マスメディアが伝えない聖火リレー
2008 , 4月 30 日 水曜日長野聖火リレーを見に行った
マスメディアが伝えられない、現場の雰囲気というものがあることを知った。
善光寺に寄ってから参道を下ってみると、まだ聖火リレーのスタートのかなり前だというのに赤旗を持った中国人留学生の「中国加油(中国ガンバレ)」とチベット支援者の「フリーチベット」の声援が飛び交っている。
向かいの通りに大きな赤旗が林立していて、そこからあふれた中国人が交差点を渡ってこちらに移動してくるので、チベット旗を持つ人たちや警備の警官から怒鳴られている。しかし、さして気にする様子もなく、まるで、あたりまえのことをしているようにどんどんやってくる。「郷に入っては郷に従え」を求めるのは無理らしいが、交通規制された狭い街路に垂れ下がる大きな赤い布切れは遠慮なく通行人の頭上にかぶさるので、それらを振り払わないとどこにも行けないし、何にも見えないという有様であった。しかも騒々しくやかましい。人間だけでこんなに騒々しくできるなどと今まで考えたこともなかった。
目の前が真っ赤になるほどの五星紅旗の行列と大声で思い出したのが、テレビ画面を赤旗が埋め尽くした40年前のテレビニュースである。あの時は「造反有理」とか「革命無罪」だったが、今回は「中国加油」だ。
警官が大勢いるので乱闘さわぎにはならず、いささかヒートアップしたスタジアムの応援合戦のようだ。赤旗を持ってうろうろしている中国人は皆若く、女の子もいたりして、雨が降り出しそうなのにスポーツウェアだけの軽装は、いかにも突然のレクリェーションに誘われて遊びに来たという感があり、まともに「フリーチベット!」と叫ぶのがアホらしくなる雰囲気だ。それともこの馬鹿騒ぎにつきあわないと『自己批判』させられるのかしらん。
聖火見物に集まった地元の人たちも、迷惑というよりあきれ顔をして、この若い騒がしい連中を眺めていた。
一方、チベット支援者は
一方、チベット支援者には単独で来たと見られる中年男性が目立つ。手書きのプラカードや手製のフリーチベットTシャツなどのバラバラな感じが「やむにやまれない」という彼らの心情を表している。
聖火ランナーの行列が来るのを待つ間、居合わせた人の話を聞く。新潟から一人で(チベット支援に)来たとか。近くに住む高齢の男性は、今回の聖火騒動のおかげでチベット問題が日の目を見たということは認めていたが、騒動には関わりたくない様子だった。
聖火ランナー達は一瞬で走り去り、その後を追いかける中国人は長野駅の方へ走って行った。後で報道を見ると駅前では双方の対決があったそうだ。
中国側のワンパターンな声援に対し、チベット擁護派の中には甲冑武者姿や新撰組のコスプレをしたり、衣服に旗や文字を取り付けて目立とうとした人もいたり、中には拡声器片手に、中国グループと見るや片っ端から日本語で怒鳴りつけている小柄で浅黒い、若い男性もいた。そのいいかにも憤懣やるかたないという姿を見ていたとき、あまりに挑発的な男性に中国人グループの一人が手を出そうとした。しかし、すぐさま他のメンバーがすぐさま彼を制し、すばやくグループの中に取り込んでしまった。統制が取れていて、個人の感情を押さえ込む団体の一面が見えた。
個人単位で行動する、腕に腕章を巻いた記者を何人も見かけた。彼らは声援合戦には目もくれず何か自分だけのネタ探しをしているようにイソイソと歩き回っていた。その中の一人が、道に出て来た街の年寄り夫婦にインタビューするのに出くわしたが、答える彼らの表情がよそ行き顔だったので、近寄って盗み聞きする気にもならなかった。
中国側は動員に成功していて、街中至る所赤旗だらけになっていた。しかし、チベット支援派も思っていたほど少なくはなかった。これをサッカーか何かの試合に例えると、善光寺の出発点辞退でおおかたの勝負はついているのだから、形ばかりの聖火リレーで『紅衛兵』を気取っても、人の共感は得られない。
と、、。ここで気づくのだが、現代の『留学紅衛兵』はメディア配信の背景を描いているきりで、個人的な気概はないのではあるまいか。長野駅前で可愛いくアピールする「平和な」姿を載せておく。
これは、4月26日善光寺の法要に出向いた黒猫白猫氏の寄稿による記事です。