革新には抵抗勢力がつきもの

2009 , 4月 09 日 木曜日

シティホールの運営の検討は、モデルとして考える必要がある。

なぜならその方法は、行政の体質革新、意識改革を考える絶好の機会になるからだ。

「情報開示」や「開かれた市政」という言葉は曖昧なものだ。

ルールブックを書き換えて、「これからはこれを公開しなさい」などと決めるのは立法側に立つ人間の考え方だ。

すべての事柄にルールを示すのは至難のわざだ。

なるべく沢山のことに網をかぶせようとするほどにあいまいになり明確さが失われる。

人間は向上心と創意工夫のかたまりだ。

解釈のしかた、運用時の柔軟性などで、適用から外れるものが現れ抜け道が現れる。

引いた線は動かされたり消されたり、そして無視されさえする。

当たり前に考え、当たり前に行動するということができないから、問題とされるのである。

一般市民と同じ感覚を持って、自律的に判断して行動する結果が、市民と乖離しないようにしろというごく単純な話である。

作為が入り、違和感が生じる理由は何だろう。

これが役所だけでなく企業でも起きていることは、昨年引きも切らず報道された、食品偽装の問題でわかる。

自分が所属する組織にとって都合が悪いことを、外部に知らせないという行動の結果である。

悪いと気づいていても流されたり意志を持って、本来とらなくてはならない行動をとらないことにするのだ。

デフォルトは何もしないことだから楽だ。

ただ流れればいい。

一方、問題を問題として提起する行動は、勇気を持って立ち上がる必要がある。

エネルギーを必要とするのだ。

 

必要なことは、ルールではない。

意識改革である。

行政はサービス業という一面を持っている。

民間のサービス業は、サービスをすることで対価をもらう。

行政は税金という対価を市民に払ってもらい、サービスを行っているのだ。

会社で言うと、株主がそのまま顧客になっているサービスを行う株式会社だ。

しかもその会社は独占企業で、顧客は別の会社のサービスを選ぶことができない。そういう会社が自治体なのだ。

このような会社には競合会社がないから競争意識はない。業務の質が落ちても不思議はない。

自分が行っているサービスが顧客(市民)を満足させているか、サービスのコストが適正かどうか考えることが大切だが、考える必要を感じない環境でもあるのだ。

 

意識改革は概念であり目標である。

あれをこうしろこれをああしろと決めることではない。

ゴリゴリ、ギスギスと頭を押さえつけてケツを叩いて進ませるものではない。

だが、革新を進めるとき必ず出てくるのが抵抗勢力だ。

最初は、問題を問題として捉えていない層が、「今でうまく行っているのに、どうして変える必要があるのだ」と言い始める。

やがて、方向が改革に向き始めると、「こいつ、ギリギリで当選したくせにでかい口きいて」「誰が協力するものか」なんて陰で言う輩が出てくる。

それでもさらに進むと、「和を壊す」「横暴だ」などと正面切った反対で潰そうとする勢力が現れる。

意識改革、体質革新を進められるか否かの重要な部分に、市民のバックアップがある。圧倒的とはいわなくても、それとわかるほどの支持がなければ、いくら声高に改革を叫んでも空回りがはじまる。

田中県政のときもそうだった。ああいう県政もありだなと分かるようになったことは大きいが、知事と議会が噛み合ないで無為に流れた時間も多かったように思う。県民はただそれを眺めさせられていただけだった。

 

以下の市議会の議事録から状況を垣間みることができる。

平成20年 12月 定例会(第4回)

平成20年 9月 定例会(第3回)

平成20年 3月 定例会(第1回)

平成17年 6月 定例会(第1回)

佐久市の市政には市議会でも触れてはいけないタブーがあったようだ。

一つは、市が出資する社団法人佐久市振興公社、佐久市土地開発公社、さらに佐久市振興公社が資金をつぎ込んでいる平尾山開発(株)、佐久ケーブルテレビの問題。

もう一つは佐久総合病院の移転問題である。

一つめのタブーについて、合併後の2005年に大型開発事業と土地開発公社について、旧佐久市以外の議員から質問がでた。

そして、2003年に自治法が改正され報告義務が生じ、平尾山開発の93億を超える負債が明らかになったこと。また、全国の自治体の同様に土地開発公社が、不良資産である塩漬け土地を持ち、支払利息が7億を超すことなどが議事録に記録された。

二つめの佐久総合病院移転問題は、2005年5月 工業専用用地を、佐久総合病院の母体のJA長野厚生連が購入したことから始まる。そして市側が、建築基準法の規定により病院建設ができないとの意見書を県に提出しこう着状態となったものだ。

2004年4月に変わった臨床研修制度により、研修医は都市部に集中するようになった。地方の医師数が不足し始め、いわゆる医療崩壊が始まった。農村医学で世界的に注目されている佐久総合病院も例外ではなく、研修医の応募が減り始めた。

問題を東信地域の医療崩壊という医療問題として捉え、5ヶ月をかけた村井知事の裁定により2月の初めに移転問題は一応決着する。背景には、4月の市長選で病院移転問題が争点となると市長選が戦えなくなるとの判断があったともいわれる。

 

佐久が合併して4年。「佐久平」は大きく変貌した。

バイパスの両側は次々と建物が増え、賑やかになった。

新幹線と高速ができて、おまけに土地が安かったから投資の対象としても魅力的で、商業施設がどんどん増えた。

5年前を覚えているだろうか。

10年前を覚えているだろうか。

10年前は佐久平地区は田んぼや畑だったのだ。

佐久平駅が開業したのが平成9年10月1日。1997年の10月1日だ。

ジャスコが開業したのは1999年4月17日。これが10年前だ。

5年後はどうなるのだろう。

10年後はどうなるのだろう。

773億円(20年度)を超える予算は、どのように使われていくのだろう。

 

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