東アジアはカオスの卵
2010 , 11月 11 日 木曜日あっというまに時はすぎ、参院選で民主党は敗北し菅首相は半べそ顔が板についたようになった。
そうこうしているうちに中国の漁船が尖閣諸島の近くに入り込み、退去を指示する海上保安庁の巡視船よなくにの船尾左につっかけた。その後巡視船みずきの右舷に体当たりするという念のいれようだ。
日本は騒然とするが尖閣諸島は自国のものだと主張する中国は開き直って言いがかりをつける。おまけに北ではメドベージェフ大統領が国後島を訪問するなどで、政府には弱り目にタタリ目の大騒ぎがはじまったのだ。
尖閣諸島の衝突で、一時はデモが禁止されている中国で反日デモがさかんに行われたが、プラカードに政府批判の文言がでるや政府はデモを押さえにかかりたちまち下火になった。
中国にとっては尖閣諸島の事件より、ノーベル平和賞が服役中の作家劉暁波氏に授与されたことのほうがより悩ましい問題だったようだ。劉氏にノーベル平和賞が決まると駐中国ノルウェー大使を呼びだして抗議、ノルウェー漁業相との会合をドタキャン、交流事業のミュージカル公演を中止させ、ノルウェーとの自由貿易協定(FTA)交渉もどうなるかわからなくなってきた。
中国政府は、授賞発表を生中継していた米CNNや英BBCの映像の授賞決定が伝えられる場面を遮断。NHKの海外向けニュースの受賞画面も遮断した。国内では国営新華社通信が中国外務省報道官の平和賞の批判談話を掲載しただけで、後は黙殺。新華社の批判談話の再掲載も禁止したが、今年の春、政府の利権がらみの不正を追求していた全国紙 中国経済時報の編集長の解任などの圧力が効いて他のメディアは報道しない。受賞した「劉暁波」の3文字が含まれたメールは遮断、ネットの掲示板も関連の書き込みは即刻削除する徹底ぶりだ。
国外では外交、経済を総動員した阻止行動を起こした。中国の人権問題を批判したフランスの横っ面を、原発2基とエアバス102機の札束約1兆6000億円でひっぱたいて12月10日の平和賞授賞式出席をやめさせようとしたが、フランスはしたたかな対応する。
受賞式への出席を控えるよう在オスロ中国大使館から日本や欧州各国に出席拒否しろと書簡をだし、だめ押しに「「劉氏を支持する政府は、それなりの責任を取ってもらう」と脅しにかかったが効果なく、かえって人権問題での遅れを際だたせる結果になった。
だが、衝突事件でぎくしゃくしても日本とは隣の国だ。経済的な結びつきも極めて強い。そっぽを向いて関わりを持たないようにすることはできないのが日中両国の現実である。
安倍、福田、麻生、鳩山と1年足らずの政権崩壊が続き、不安定な政情で右往左往し一貫した外交政策が築けない日本だが、中国にも事情がある。反日デモを行なっているのは、主に反日教育を受けて育ってきた80後と呼ばれる1980年代生まれの世代である。だが、反日行動を名目にしたデモは、年を追うごとに一党独裁の共産党政権下で生じてきている貧富、発展の格差、民族問題など、さまざまな矛盾のはけ口や民主化要求、腐敗幹部への鬱憤ばらしなどに変異しつつある。
中国のこの世代は、2CHで憂さを晴らすネトウヨと呼ばれる日本の同世代のネット弁慶の連中と異なり行動が活発で、ネットで連絡を取り合い街に繰り出して集結し行動を起こすパワーがある。武装警察の隊列を組んだパトロールや大量動員によるデモの規制で跳ね返りを抑えている政府だが、頭をよぎる悪夢は1989年6月4日の天安門事件である。
民主化を叫び集結した学生に市民が加わったこの事件では中国人民解放軍が出動して武力で鎮圧するに至った。当時と違いネットでコミュニケーションを行なう当節は、同様な事態が起きる場合、信じられない速度で物事が進むことになる。携帯を止めネットを遮断しても、流れ次第では混乱の収拾ができなくなり、そうなると国が分裂する。
両国とも時が過ぎほとぼりが冷めるのを待ちながらの10月4日、ブリュッセルのアジア欧州会議(ASEM)首脳会合で菅直人首相と温家宝首相が会った。廊下で椅子に座って25分間ほど話したという変化球だ。さらに10月30日にはハノイの東アジアサミットの前に菅直人首相と温家宝首相が10分間ほど廊下で懇談するなど、国内の反応を探りながらの関係修復の道を探しているようだ。
10月31日上海万博が終わり、温家宝首相が上海万博を皆勤した上海万博おばさんを友好の象徴として取り上げた。もちろんこれは、国内と日本に向けたメッセージで、探針の役目もあるのだ。
2010年の秋から、東アジアは話題にことかかない。日本と中国、おまけに韓国と米国を巻き込んで、国際情勢を混沌とさせはじめた。
もちろんさらに続く